だけどなんでかな、ふがいないや

(※少し前にブログ用とは別に書いたものなのでいつものブログと文体が異なります。ポエミーなのはいつも通り。)

 

 

 

 

 言葉はとても不思議なものだと思った。

 

 明るく温かい、大方励ましの意味で使われるはずの言葉がとても冷ややかなものに聞こえることがある。そういう時は大概悪いことが心の中にはびこっている時で、悩んでいる時に周囲の人から「大丈夫?」と心配してもらっても「大丈夫じゃないから悩んでるんだよ」と思ってしまうのが分りやすい例だと思う。

 少し前、とてもつらい時期があった。
厳しい事をたくさん言われたり、裏で心無い事や、身に覚えがない悪事をしているとバラ撒かれているのを耳にしてしまったりした。皮肉にも嫌な事は同時期にまとめて襲ってきたりする。その頃の私も例外ではなかった。出来事はもちろんだが、たくさんの言葉にたくさん傷付けられた。ヘラヘラしているのが得意故「怒られても平気な子」認定されて無駄に怒られる事は慣れていたし、ここで休んだりしたら逃げたと思われるし負けだと無駄に対抗心を燃やしたけど、それでも一度に抱えるには重すぎた。

 だからその頃の自分は、どんな前向きで明るい言葉をかけてもらっても、いまいち心に響かなかった。涙脆い自分がむしろ泣けない位だったから、心が麻痺していたのだと思う。全部綺麗ごとのように思えた。そんな風にひねくれた考えになってしまった自分を自覚して、もっと嫌気がさした。

 白々しく思えてしまうのは歌についても同じだった。いつも聞いている好きなアーティストの明るく元気な歌も、メジャーなラブソングもどうも聞く気になれなかった。

 でも独りきりの移動時間、静かすぎるのも居心地が悪くて何気なく某動画サイトを開き、新着動画を適当に再生した。流れてきたのはドラムを数回叩く音と、聞いたことのない男性シンガーの歌声。世の中になにくそ!と思っているような、少し荒っぽくも前向きに聞こえる言葉が並んだ詞に、やっぱりどうも共感ができなくてイヤホンを外そうかと思った。

 その時、サビのラストに、そこまでの歌詞とは矛盾しているような言葉が流れ込んできた。

 

『やっぱり何だかふがいないや』

 

 ふがいない。という言葉にプラスのイメージはない。どちらかといえば自虐的に使われる印象が強かった。けれど、そのフレーズを歌う声は、決してふがいないと思う自分を否定しているようには聞こえなかった。

 アップテンポな曲調と優しい声に誘われて、出なくなっていた涙がぶわっと溢れた。

分かりやすい言葉ばかり気にして、結果自分を一番傷付けて追い詰めていたのは自分だった。それをマイナスな言葉と見知らぬシンガーにに気付かされた。

 

 言葉とはとても不思議なものだと思った。伝える側と受け取る側、双方の心持ちの違いで、同じ言葉でも与える影響が大きく違う。慰めも、傷付けもできる。少なくともあの日の私は、頑張れや大丈夫?といった言葉ではなくて「ふがいない」と笑い飛ばしてくれた彼に救われた。

 高校生にもなって電車の中で泣くなんて、それこそふがいない思い出だけれど、私は言葉が持つたくさんの意味を知ったあの日の事をできるだけ覚えておきたいと思う。

 人もそこそこいる電車で泣いてしまったことに気が動転して、結局その歌手の人は見失ってしまったのだけれど、くるくるとステージの上を踊るように歩く、スーツに白の蝶ネクタイが印象的な人だった。

 

 

 

 

 



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https://youtu.be/TJRmKaXy0-4