拝啓、風にも雨にも負けていますが、なんとか生きてます

思ったことを取り留めなく。すきなことに対する考え過ぎなこと多め。

まあ要するにそばにいたい


どうもこんにちは。海外留学来て38度7分の熱出してる大馬鹿野郎です。
そんなこたぁどうでもいいんだ(よくないです、ちゃんと休んで勉強します)。私が今回喋りたいことは違うんだ。

 

先日「6人と向き合えないなら下車」ってちょっと騒ぎになりましたね。
その発言に悲しんでる人もいたし怒ってる人もいた。私も色々考えた上で悲しいとも思うし怒りだって湧いてくるけど、その発言を目にしたとき一番に感じたのは驚きでした。ただ単純にびっくりした。

 

えっ世知辛!コーイチ推し生き辛!!推しが突然消えた上に下車のタイミングまで周りにあーだこーだ言われなきゃいけないの!?一部の新規に推しは不要だとか言われるし黒振るなとかも言われるし、もうちょっと世界コーイチ推しに優しくてもよくない!?

 

下車できる人はもうしてるし、周りから言われなくたって下車できるものならとっくにしてる。
毎日辛いよ、しんどいよ、苦しいよ。なんで辞めたんだろうって1日に何回も何回も思うし、全然姿見せてくれなくて不安だし。PAPAPAPA JUMPERSみたいなハイテンションな歌聞いてもそっちは最近どうだい?辺りで、もうすでにこっちのセリフだわ…って通夜みたいなテンションになるし。Refrainなんか聞いた時はたまったもんじゃないよ。死因:推し脱退の謎って遺書に書き残して川に飛び込んでやろうかって思うよ(良い子は真似しないでね)。


それもこれも超特急が好きだからで、コーイチが好きだから。超特急がもう好きじゃなかったら、推しの不在を悲しんだりしないし、コーイチがもう好きじゃなかったら、とっくに推し変して別色のペンライト振ってる。
なによりも私は純粋に応援できない自分が不甲斐なくて情けなくて一番嫌、苦しい。超特急はすごい。どんどん大きな会場抑えて、どんどん高みを目指してく。でもその広い広いステージに、推しはいないんだって考えたら、どうしようもない気持ちになる。今超特急がやってることはコーイチさんがやりたくなかったことなのかな。コーイチさんがいたらできなかったことなのかな。コーイチさんがいなくても成立するよね、そうだよねって。考え出したらきりがない。
6人になってメディアでの露出も増えて、色んな写真がネットに上がるようになって、かっこいいな可愛いなって思うのと同時に、ここにコーイチさんいたらなって思ってしまう。なんで今何だろうって拗ねちゃう。
「6人になって成長した」「6人になって絆が深まった」って言葉を目にするたび、じゃあそのもう1人だったコーイチさんはいらなかったの?6人の成長を、絆を邪魔する存在だったの?と思ってしまう。そんなはずないのに。そんなはずないって信じていいはずなのに。どうしようもない。

それでも6人の超特急も好き。a kind of loveは最近よく聞く曲のプレイリストに入ってるし、Party Makerやっと見たよ。タカシ君すごくかっこよかった。相変わらずカイさんはカメラを見下ろす時の表情と笑顔の温度差が激しくて大好きだったなぁ。あれだから私今風邪引いてるのかな(違います)。

 

辛くても追いかけてるのは、追いかけてても辛くなっちゃうのは、超特急が大好きでこれからも応援したくて、でもやっぱり推しがいないと寂しいからだよ。好きな人が好きな人達の輪の中にいない、寂しい。超シンプル。それって悪いことなの?そんなに早く押し殺さなきゃいけない感情?突然過去形でいなくなったことだけ教えられて、それだけでコーイチ推しの人格も7人が好きな人格も殺せって?
そう言うんだったら、超特急1号車お父さん担当バックボーカルのコーイチと7人の超特急にちゃんと『ありがとう』も『さよなら』も言える舞台を用意してよ。黒色のペンライトをこれが最後だって噛み締めながら振れる機会を作ってよ。5ヶ月もあったけど、なに一つ用意されなかったよ。待ってたのは6人の舞台と、ほんのひと握りの人しか行けなかった1人の舞台だけだったよ。
年始の城ホを見て、FLTでも泣いたしStarlightでも泣いたしfanfareでも泣いたよ。けどその時の涙は別れを惜しむものじゃなかった。7人が素敵だったから感動したものだった。推しの理由の掴めない涙が辛くて溢れたものだった。これで最後だって分かってたら、もっと別の意味で泣けるはずだった。

 

そういう風な終わらせ方をしたのが推しだって事も重々承知してる。ちゃんとわかってる。だから彼にも怒ってる人格はちゃんといる。コーイチさんが辞めなければ、もしくはもう少し違うやめ方だったなら起こらなかっただろうなって論争もたくさんある。
他でもない推しが、コーイチが、もしくは吉野晃一が決めたことだけど、散々大好きだのなんだの言っておいて『方向性の違い』ってだけで片付けられた終わり方は、一生納得なんてできない。したくない。なんでなんでって気が済むまで言い続けるし思い続ける。そんなすぐ前なんて向けないよ。戻ってきてって言っちゃうよ。だってなにも分かんないよ。嘘つくならもう少し上手にやってよ。なんにも腑に落ちないよ。
だってこんなになにもない状態で納得したら、成仏したら、散々言ってきた「好きだ!」って気持ちはなんになるの。遅れてでも遠くからでも、彼の歌が聞きたいって会場に飛び込んだ時間はなんだったの。
カイさんといると悪戯っ子の5歳になるコーイチさんも、リョウガさんといると好きな子にちょっかいかける小学男児みたいになるコーイチさんも、タクヤさんといるとがっつりオフモードに入ってしまうコーイチさんも、ユーキさんといるといつもより輩感増すコーイチさんも、ユースケ君といるとお兄ちゃんになったり甘えたになったりするコーイチさんも、タカシ君といると過保護なパパになったり急に5歳になったりするコーイチさんも全部好き!なんか幼児化しすぎな気がするけどそこが好き!メンバーといるとポンコツになっちゃうコーイチさんが好き!この先見られないなんてやだ!!わがまま言うなって言うならなんで取り上げるのか説明しろぉ!
超特急はすごいから、6人でも大丈夫かもしれない。でも貴方を推してたコーイチ推しはなにも大丈夫じゃない。少しも大丈夫じゃない。

 

わがままだから目を閉じただけじゃclose to youにはならないし、1!で何色よりも先に黒を掲げたいし、こんなにドキドキしてるのは推しのせいがいいし、私の推しがNo.1だって叫びたい。
summer loveのやでよし背中合わせ合わせだって今年の夏更新されるのが楽しみだったし、塩昆布のone lifeのかわいいやり取りが忘れられなくて、いちごのkiss me babyが変幻自在っぷりをまだまだ見たいし、親子のNo.1カッコつけシーンだって、ふなよしの走れ超特急で見せたおふざけも無くなっちゃったのが本当に本当に寂しくて、fanfareのカイさんとのペアダンスだってずっと見たい。これからも見たい。
新しく作り替えられた振りも、今までを覆すような出来なのかもしれない。超特急ならそうなんだろうと思う。それでも寂しいよ。ずっと寂しいよ。

 

質問BOXでも聞かれたけど、私は次の現場で黒のペンライト振るつもりです。ピンクと青と一緒に。申し訳無くなっちゃうと思うから、途中で消しちゃうかもしれないし、たぶんその日を最後にする。それでもいいってくらい後悔ないように振る。
そもそも黒ペンラを振っちゃ駄目って話はどこから来たんだろう。
振れない人は振ってないし、振ってる人はそれがその人の答えなんだと思うけどな。
それに黒って見え辛いんですわ!近くで見ないと分かんないし!光ったら黒に見えないし!これ言い訳とか自傷とかじゃなくステージに立って見てた本人が言ってた事ですから!光ったら白ですね(笑)って!ちくしょう!そんなところが好きだ!
超特急にとってペンライトって、貴方を推してる人がここにちゃんといるよって、言うなれば推しを照らすものじゃないですか。
でも今の私達にはいないよ。照らしたかった人はいないよ。黒振ったって答えてくれる推しはいないよ。
それでも振るんだよ。それにはその人のその人なりの答えがあるんじゃないの。それを無下にする権利が、当事者でもステージに立つ彼らでもない第三者にあるのかな。
というか!お金払ってグッツ買ってまでしてそんな見え辛い色注視してうわあの人黒振ってる…ってなる暇あったら手元の推し色ペンライト振ってそれで応援してる推しのこと見てなよ!そこにその人いつまでいてくれるか分かんないよ!ステージに推しがいてパフォーマンスするのってめちゃくちゃ贅沢で凄いことなんだよ!その幸せ噛み締めときなよ!自分の推しは脱退するわけないって!?私だってそう思ってたよ!!

 

 

 

 

 

だけどなんでかな、ふがいないや

(※少し前にブログ用とは別に書いたものなのでいつものブログと文体が異なります。ポエミーなのはいつも通り。)

 

 

 

 

 言葉はとても不思議なものだと思った。

 

 明るく温かい、大方励ましの意味で使われるはずの言葉がとても冷ややかなものに聞こえることがある。

そういう時は大概悪いことが心の中にはびこっている時で、悩んでいる時に周囲の人から「大丈夫?」と心配してもらっても「大丈夫じゃないから悩んでるんだよ」と思ってしまうのが分りやすい例だと思う。

 

 少し前、とてもつらい時期があった。
厳しい事をたくさん言われたり、裏で心無い事や、身に覚えがない悪事をしているとバラ撒かれているのを耳にしてしまったりした。

 

 皮肉にも嫌な事は同時期にまとめて襲ってきたりする。その頃の私も例外ではなかった。出来事はもちろんだが、たくさんの言葉にたくさん傷付けられた。ヘラヘラしているのが得意故「怒られても平気な子」認定されて無駄に怒られる事は慣れていたし、ここで休んだりしたら逃げたと思われるし負けだと無駄に対抗心を燃やしたけど、それでも一度に抱えるには重すぎた。

 

 だからその頃の自分は、どんな前向きで明るい言葉をかけてもらっても、いまいち心に響かなかった。

涙脆い自分がむしろ泣けない位だったから、心が麻痺していたのだと思う。

全部綺麗ごとのように思えた。

そんな風にひねくれた考えになってしまった自分を自覚して、もっと嫌気がさした。

 

 白々しく思えてしまうのは歌についても同じだった。いつも聞いている好きなアーティストの明るく元気な歌も、メジャーなラブソングもどうも聞く気になれなかった。

 

 でも独りきりの移動時間、静かすぎるのも居心地が悪くて何気なく某動画サイトを開き、新着動画を適当に再生した。

 

 流れてきたのはドラムを数回叩く音と、聞いたことのない男性シンガーの歌声。

世の中になにくそ!と思っているような、少し荒っぽくも前向きに聞こえる言葉が並んだ詞に、やっぱりどうも共感ができなくてイヤホンを外そうかと思った。

 その時、サビのラストに、そこまでの歌詞とは矛盾しているような言葉が流れ込んできた。

 

 

『やっぱり何だかふがいないや』

 

 

 ふがいない。という言葉にプラスのイメージはない。

どちらかといえば自虐的に使われる印象が強かった。

けれど、そのフレーズを歌う声は、決してふがいないと思う自分を否定しているようには聞こえなかった。

 

 アップテンポな曲調と優しい声に誘われて、出なくなっていた涙がぶわっと溢れた。

分かりやすい言葉ばかり気にして、結果自分を一番傷付けて追い詰めていたのは自分だった。

それをマイナスな言葉と見知らぬシンガーにに気付かされた。

 

 言葉とはとても不思議なものだと思った。伝える側と受け取る側、双方の心持ちの違いで、同じ言葉でも与える影響が大きく違う。

慰めも、傷付けもできる。

少なくともあの日の私は、頑張れや大丈夫?といった言葉ではなくて「ふがいない」と笑い飛ばしてくれた彼に救われた。

 

 高校生にもなって電車の中で泣くなんて、それこそふがいない思い出だけれど、私は言葉が持つたくさんの意味を知ったあの日の事をできるだけ覚えておきたいと思う。

 

 人もそこそこいる電車で泣いてしまったことに気が動転して、結局その歌手の人は見失ってしまったのだけれど、くるくるとステージの上を歩くスーツに白の蝶ネクタイ姿がやけに印象的な人だった。

 

 

 

 

 



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https://youtu.be/TJRmKaXy0-4

 

 

 

 

 

 

one black

 

 

ポエマーオタクのどっちつかずな長ったらしい戯言です。


飛行機の中でこれを書いています。明日から私は1年間留学に出掛けるので、長い長い移動時間何をしようかと思ったら一番に今の気持ちを残しておこうと思い至りました。


1月16日に学校から帰ってきて携帯を開いたら、友人の8号車から怒涛の着信履歴が残っていたのをよく覚えています。
あの日からあっという間だったような長かったような。
私生活が多忙だったこともあり早く感じることのほうが多かったかもしれません。
それでも、三ヶ月とは思えないほどたくさん泣いたのは確かです。自分でも笑っちゃうくらい。
さっきもPrizmaX兄さんのsomedayを聞きながら泣きました。乗り物に乗ると不思議なことに感傷的になってしまうんですよね。私だけかな。スーパードライ人間の割に推しに対しては涙腺が馬鹿なのでね。


でも発表を受けた瞬間は泣かなかったんだよなぁ。
友達から大丈夫?って心配されて、ああ現実なんだってじわじわ理解して。
そしてタカシくんのブログを読んで初めてぼろぼろ泣きました。


『ただ本音を言うともう一度超特急として2人でうたいたかった』


5人のメインダンサー、2人のバックボーカルだった超特急で、この感情を抱いたのはタカシくんだけ。
この文を読んだとき、まず最初になんでって思いました。
なんであの人はみんな置いてっちゃったんだろうなと。
大好きだから離れるって、分かるようで分らない矛盾を盾にしたのなら、もっと納得せざるを得ないような説明が欲しかった。それか引き止めるのも申し訳ないくらい前向きな挨拶。


LazyBearの歌詞を見て余計に分からなくなった。BeautifulChaserのニコ生でクマイチっていじられていた事や、愛す。で僕はシロクマで〜すと手を上げていたのを思い出してまた泣きました。
なまけ者のくまは関西弁で歌うんだそう。ここまで来ると匂わせどころの話じゃない。
『だからさあ なあ なんかいってや 嘘だっていいから』って、それはこっちのセリフだよ。


いつまで経ってもどうして、と悲しいと悔しいと寂しいと、これから自分はどうしようばかりがぐるぐる回って、超特急の歌を聞いては泣いてばかりいました。
新しい情報が出るたび、超特急可愛いな、かっこいいな、すごいなって思ったあとすぐに浮かんでくる「なんでコーイチさんいないんだろう」という悲しいわがまま。


こんなに苦しまなくちゃいけないのなら、コーイチさん、もしくは超特急を推してさえいなければなぁと一度も思わなかったと言えば嘘になります。
推しがいなくなってしまったのにこんなに必死に超特急に縋ろうとしていた理由は自分でも良くわかっていないのですが、確実なのは超特急がめちゃくちゃ好きだからと、単推しじゃ無かったということ。


プロフィールにもあるように、私はコーイチさん、カイさんよりの箱推しです。
珍しい組み合わせだねって言われるし、カイさんは分かるけどコーイチさん推しになったの意外だとも言われます。
確かに今までの推し傾向的に言えばカイくんっぽいなと思います。人懐っこい自信家が好きなので。


純粋に歌が好きなんだと思います。歌ってる時の表情や歌に対する姿勢や彼が作る歌が好き。
そこから超特急メンバーと関わっている所も見て、余計に好きになったんだと思ってます。
メンバーとわーきゃーしてるコーイチさんが一番可愛くて彼らしくて好きなんです。だから気付いたら推してた。


年下組がちょっとおびえてる(ように見える)稜海を遠慮なくいじり倒すのはいつもコーイチさんで、タクヤさんを可愛い可愛いって一番言うのもコーイチさんで、ユーユーがおるとうるさいけどおらんと寂しいなぁとかツンデレみたいなこと言うのもコーイチさんで、タカシくんの小ボケや小ツッコミを逐一拾っていたのもコーイチさんで。

逆に、稜海はMC中にぽけーっとしてるコーイチさんに突然話をぶん投げたり、ユーユーは時たま自由すぎるコーイチさんを叱ってくれたり、タクヤさんとタカシくんはコーイチさんのボケを細かく拾い返してくれてた。

自分の話をあまりしない彼が、メンバーと関わる中でぽろっと見せてくれる『コーイチ』や『吉野晃一』が大好きで、一緒に笑ってるメンバーが大好きで、7人の超特急が大好きで、だから純粋に、ただ単純に、離れ離れの姿を見るのが寂しかった。今も寂しい。


6人を否定する訳では決してなく、それでも7人の超特急が大好きだったから、大好きな人が急にメンバーの中で無かったことにされるのが一番悔しいし悲しい。
公式の情報から、コールの中から、オタクの中から、少しずつコーイチさんがいなくなってしまってしまうのはもちろん悲しい。寂しい。

けどなにより私の中では、大好きな人達の中から、大好きな人の存在が無かったことにされたり、名前や存在が互いにNGになってしまう方がよっぽど辛い。
だから私としてはFCイベで6人が「コーイチ」や「7人」を声に出してくれたことが本当に嬉しかったです。
例えそれがエゴサーチによるものだとしても、NGワードじゃないことがわかったから少し心が軽くなった。
超特急公式のみんな〜!今日も元気にエゴサしてる〜!?吉野晃一さんに楽曲提供してもらって〜!!いえ〜!!(泣)
同時にユースケくんとユーキさんの言葉が重たくて苦しくてまた泣きました。情緒不安定も甚だしい。

 

ただ6人も吉野晃一さんも幸せになってほしいのは確かです。

でも本当は、7人で幸せになってほしかったなって思うんです。


寂しいなって事の次にコーイチさんに思うことは、ユーキさんと同じく「ばかやろう」。

まず勝手に大阪城ホールでのライブをラストにするんじゃないよって思う。
私はあの日のfanfareが大好きで大嫌いです。あの中には私が好きな超特急がぎゅっと詰まってるから。今となっては見るのが辛すぎて半分トラウマになってしまった。
冒頭のふなよしの絶妙なやり取りとか、カイさんとコーイチさんのペアダンスを見て優しく笑うタクヤさんとか、ぐしゃぐしゃって頭を撫ぜるユーキさんの目の力強さとか、終わり際真っ先にコーイチさんに駆け寄るユースケくんとか、いつのfanfareよりも高らかに歌ったタカシくんとか。
知ってますか、あのカイさんとコーイチさんのペアダンス、いつもコーイチさん恥ずかしいのか知らないけどちらっとしかカイさんの顔見ないんですよ。ネバギバでカンチョーまでしてるくせに。それがしっかり見つめ合ってさ、手まで繋いじゃってさ。可愛いかったな。大好きだったな、あそこ。

なによりその時のコーイチさんの涙は、Synchonismの時のような、彼の歌に対するプライドがそうさせたような、切ないし苦しいけどカッコいい、彼らしい涙だと思ってたんですよね。
違ったのかな。もうあの日、彼の心は決まっていたのかな。
もしそうなのだとしたら、その結果が今なら、ありふれた日常が奇跡になんて変わらなくても良かったよって思ってしまう私は、冷たい奴だな。

それに「超特急なら大丈夫」って言った事に対してもふつふつと怒ってます。お前が言うんじゃ無いよって。
じゃあ超特急・コーイチに対する大好きはどこに葬れば良いんだよ。
貴方を推してた人間は何も大丈夫じゃないよって。
突き放すわけでもなく、ちゃんと説明をくれるわけでもなく、大好きだよばいばいってそれで終わりって、そんなのずるいでしょ。
どうせならめちゃめちゃに突き放して嫌いにさせて欲しかった。
「君の事が大好きだけど、君にはもっと幸せにしてくれる人がいると思うから別れよう」って言う都合のいいホストみたいなこと言ってんじゃないよ(偏見of偏見)。


なによりずっと、この先間違いなく怒り続けるだろうなと思っていることが一つあります。
「俺には歌しかない」って歌った吉野さん!
それ超特急6人の前で本当に歌えますか!
1号車だったあなたには!
忘れるわけないですって言ってくれる2号車も!!
代わりに色んな場面でたくさん説明してくれた3号車も!!!
自分の事じゃないのにたくさん謝ってくれた4号車も!!!!
ばかだって泣いて怒ってくれる5号車も!!!!!
それでも大好きだって言ってくれる6号車も!!!!!!
もう一度一緒に超特急として歌いたかったって言ってくれる7号車もいるんだよ!!!!!!!
歌しかないわけないでしょ!
ばーーーーーーか!!!!!愛されてるっていい加減気付けーーーーーー!!!!!ちゃんと6人と話せーーーーーーーーーーーー!!!!!!


だらだら書きましたが、ごちゃごちゃしてる中で一番軸の部分を書いただけで、自分がこれからどうなるかは自分でも全く分かりません。
超特急も吉野晃一も推し続けるのか、どちらかを推すのか、どっちも推さないのか。
でもそれは、やっぱりカイさんもブログで言っていたとおり、両方の現場に行ってみないと分からないんだろうなと。そしてそれができるのは早くて1年後。長いなぁ。
でもそれだけ心の準備ができるのはいい事かもしれない。
その間たくさん寂しいと思うだろうし、腹が立つなと思うかもしれない。
それならその時に嫌えばいいかと思う余裕は出てきました。いや、四六時中考えてるのに疲れただけかもしれないけど。
今こうして辛いし寂しいのは、超特急もコーイチさんも吉野晃一も好きだからで、今はそれに甘んじていようかな。
ちっぽけなオタクが立ち止まって後ろを振り返ってたとしても、超特急は変わらず進んでいくだろうしな。
追いかけようと心に決めたときには、その時頑張って走ろう。
今思えば、歴代の推し全員に振り回されなかったことなんか無いな。オタクだなぁ。


そろそろ起きてるのが辛い。撮り溜めたスクランブル特急でも聞きながら寝ようかな。また泣いちゃうかもな。
長々とお付き合いありがとうございました。


最後にコーイチさん、もとい吉野晃一さん。
私が最近一番良く思い出すのは、Trans Nippon Expressのコーイチさん誕生日の日の公演の事です。

「黒がええよ」

って言ってくれた事、すごくすごく嬉しかったです。
正直黒のペンライトなんて見えてないだろうとどこかで思っていたから。
コーイチさん、私もね、黒がええんですよ。
これからも黒を振りたかったんですよ。本当はね。


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幸せになる権利

お前今更かよ!というブログを書きます事で有名なあまつです(大嘘)。

1月中に上げるはずの内容だったんですけど、もう3月ですね。もうそろそろ春が来そうな気配がしますね。

https://www.instagram.com/p/BfaGY1tnaHw/

インスタの宣伝もしたところで本文をば。

 

 

1月、『屋根の上のヴァイオリン弾き』を観劇しました。

(以下、少し作品のネタバレを含みます)

 

推しの入野自由さんが留学後初めて出演する舞台と言うことで、もう期待でいっぱい、そわそわしながら母と舞台に行きました。

 

外国でさらに昔のお話だったわけですが、私が通っているのがキリスト教の学校なので、聖書の時間が設けられていて、そこでユダヤ人の歴史なんかにも触れていたので、割とすんなりと時代設定は理解できました。

 

家族とは、愛とは、がぎゅっと詰まった3時間。

あまりにも濃密で、キャストさん一人一人の演技も歌も素晴らしくて引き込まれ過ぎて、休憩時間にお会いしたフォロワーさんに「魂吸い取られてませんか、大丈夫ですか?」と心配されました。

 

 

語りたいことはたくさんあるのですが、まずなにより感銘を受けた市村正親さんの対応力について。

私が観劇したのは、名古屋の千秋楽です。

テヴィエが何度か心の中で神様に呼びかけに答えるシーンがあるのですが、その中の一回で、観客席の男性が「頑張れ~!」と呼びかけるという一幕がありました。

恥ずかしながら、舞台及び屋根ヴァに対して知識も経験も浅いので、それがルール的によろしくない行為だったのか、もしかしてちゃんと台本上にある演出なのか定かではありませんが、市村さんが自然にそのやり取りをストーリーに組み込んでいるのに感動しました。

まるで台本の通りの演技のような。これが生の面白さか、と思うほど。

私情で一度しか観劇は叶わなかったので、その都度変化する醍醐味を味わえなかったのが残念です。

 

 

そして屋根ヴァではテヴィエの娘3人の恋模様が描かれているわけですが、私が個人的に一番心を鷲掴みにされたのがチャヴァのエピソードです。

とにかく切ない!切ない…!

その時代、特にユダヤのしきたりを大事にしていたテヴィエの娘として、きっと誰にも認めてもらえない恋。

それでも自分の想いを捨てられなかった愚直にも真っ直ぐなチャヴァが、切なくて寂しくて、何よりとても綺麗に思えました。

辛く寂しい別れを決断した分、彼女が選んだ出会いが幸せなものだといいなぁ。

 

 

たくさんの印象的なセリフがある屋根ヴァですが、個人的に今でも心に深く突き刺さっているセリフは、モーテルとツァイテルの

 

「しがない仕立て屋にも、幸せになる権利はある」

 

という言葉です。

たとえ”しがない“ものだろうと、誰にでも幸せになる権利はある。

人種差別が見直されている今だからこそ、かつて迫害の的だったユダヤ人である彼らがその事を言うことに、深い意味を持つのかもしれません。

 

私はどこにでもいるしがない一学生なので、そのセリフがどれだけ世界情勢に物申しているだとか、昔の社会の不自由さを示唆しているだとかはわからないのですが。

純粋に、それこそしがない一人の人間として、そのセリフは胸にくるものがありました。序盤にして涙が出たくらいです。

 

(前回のブログを読んでくださった方は察しがつくかもしれませんが)最近、幸せとは、みたいなことを考える機会があったので余計に刺さる部分がありました。

誰にでも幸せになる権利がある。

でも権利は行使しなければ持っている意味をなさない。

それすなわち、幸せとは掴みとっていくものなのかもしれません。

彼にもあった。だからそれを掴もうとしている。その結果が今の現状なのかもしれません。

それなら両手いっぱいでも足りないほどの幸せを掴んでほしいなぁ。

恐怖心を払い除け、テヴィエに向かって叫んだモーテルの手が、強く握りこまれていたのが印象的でした。

 

 

そして何より、私はやっぱり入野さんの演技と歌が大好きだなぁと。

物語の中に住んでいるかのようなお芝居と、真っ直ぐな歌声。

名古屋芸術劇場の3階席から舞台を見るのは経験が無くて、ちゃんと見えるのかとか色々不安だったのですが、より一層入野さんの歌声が会場に広がっているのが伝わって、いい経験になりました。

臆病者からしっかり者へ。

前半の下がり眉が可愛くて、あまり見慣れなくて新鮮でした。

 

 

来週はキラフェスですね。

残念なが私は両日とも習い事の舞台があって参加できません。

帰国後、そして30歳になってからの初めてのライブ。

きっと入野さんはまた大きな幸せをくれるんでしょう。

いいなぁ。行かれる方は存分にたのしんでくださいね。

夢ならば

Twitterでもなんでも、初めてって何を言えばいいかわからなくて、ここを開設してもしばらく何も書けずにいたけど、どうしても書きたいなと思うことが出来たので、ぽつぽつ書いていこうかと思いました。

本当はもうちょっと前向きな記事書けたらなぁとか思うけど。

 

 

初めて推しの脱退というものを経験しました。

 

 

言葉の力ってすごいと思う。

たった一言、下手したら一文字ですべてが覆ったりしてしまうから。だからこそ私は、公式からの『大事なお知らせ』を読んでから、未だに一つのもやもやを抱えています。

 

なんでコーイチさんは『脱退』だったんでしょうか。

なんで『卒業』や『路線変更』ではなかったんでしょうか。

 

同時期、私立恵比寿中学廣田あいかさんがグループを卒業しました。

つい最近、ももいろクローバーZ有安杏果さんがグループを卒業しました。

どちらも超特急と同じ事務所で、どちらも『卒業』という言葉が添えられています。

 

ならばなぜ、コーイチさんだけ『脱退』なんていうとても現実的で寂しい言われ方をしているんでしょうか。

私はずっとそれが納得いかなくて、悲しくて、寂しいです。

 

メンバーみんなが「突然の決定だった」と言っているところ。

コーイチさんが「7人で8号車を東京ドームへ連れて行きたかった」という言葉。

リョウガさんがブログで言っていた「飛び交っているものは全て個人の予想なわけで真実かどうかは僕たちにしかわかりません」という言葉。

 

あえて『脱退』と言われる何かがあるんじゃないか、と思ってしまうのは不自然でしょうか。

 

私はコーイチさんのブログの、ふわふわした言い回しが好きでした。

けれど宝物と名付けられたブログの言葉には、全然満足できませんでした。

「ふざけんなよ」とも「嘘つき」とも「考え直してほしい」とも思いました。

だってそう思ってしまう言葉ばかりが目の前に並べられているから。

 

質の悪い小説を読んでいる気分です。

起承転はなにも知らないまま、結の部分だけ見ているかのような。

そこから綴られていく新章を、心は置いてきぼりのまま目で追っているような。

 

 

私はもともとコーイチさんとカイさんの複数推しだったので、超特急に推しがいなくなったわけではありません。

そもそも超特急というグループが大好きなので下車を決めたわけでもありません。6人になっとしても突き進んで、きっと東京ドームに8号車を連れて行ってくれると信じています。

彼の歌が大好きなので、吉野晃一個人の活動もできるだけ応援していきたいと思っています。

 

でもパーバレで披露されたMy buddyのレポ。

「We are the buddy」をメンバー全員で歌ったという素敵なエピソード。

やっぱり超特急が好きだなぁと思うと同時に、なんでそのWeに自分が大好きだった人は含まれていないんだろうと思ってしまって、とても情けなくなりました。

まだ自分はあの『大事なお知らせ』を読んだあの日から、少しも前に進めていないんだな。

そんな自分が、全速力で走っていく超特急にも、目を離したらどこかへ歩いて行ってしまう吉野晃一を追って行けるのかな。

 

もしかしたら「We are the buddy」とうたったメンバーの心にはコーイチさんがいたかもしれません。

でも形となって届くのは、その言葉とその言葉を発してる6人の姿だけ。

黒色はどこにもいない。

心の弱い、与えられたものを受け取ることしかできないオタクは、それがどうしても苦しい。

 

言葉の力は凄い。

『脱退』って2文字だけで体調を崩したし、

カイさんの『僕は辞めません』に救われたし、

リョウガさんの『僕たちは諦めません』は何よりも説得力を持っていたし、

ユーキさんが『ライブでその思いをすべて払拭したいと思います!』は希望に満ちていたし、

タクヤさんの『いつかは信じてほしいです』という言葉に、いつか本当にこたえたいと思ったし、

ユースケ君の『コーイチが大好き』で信じられないくらい泣いたし、

タカシ君の『ただ本音を言うともう一度超特急として2人でうたいたかった』という一言はとても重かった。

 

だから私は言葉でちゃんと説明が欲しいと思ってしまいます。

できる事なら、コーイチさん本人の口から。

なにが「どうしようもなかった」のか、

その「ズレ」はなになのか、解消の術はなかったのか、

吉野晃一はどこに向かっていくのか。

先頭車両らしく、貴方を推していた人たちに、もう少しわかりやすいレールを示してほしい。

贅沢な話に聞こえるかもしれないけれど、その余地を残してしまったのは本人達と運営と運営と運営だと思っています。

誤魔化すなら、嘘を吐くなら、もう少し上手にやってほしかった。

 

 

「好き、どっちも応援したい」と「なんで、どうして」を煮詰め続けるのはあまりにも苦しいから、さくっと一思いにトドメを刺してほしい。

はっきりと目に見える形で理由を提示して、まだ「超特急・コーイチ」に縋ろうとしている人格の私を殺してほしい。

そしたらやっと前が向けると思う。

弱い一人のおたくは、未だにあなたの一言を待っています。